まっきーの今まで

1988年生まれの29歳。大分県出身。
18歳の大学進学と同時に福岡に移住。
福岡が気に入ってそのまま10年住み着いているエセ博多人。
地元の友人によると「完全に福岡に染まっている」
6年間の会社員生活を経て2017年4月にフリーランスに。
現在は、システムエンジニア、WEBライター、ブロガーとして活動中。
いわゆる「その他大勢」だった子供時代
僕は、Google Mapの航空写真も諦めるほどの大分の超田舎に生まれました。
教員の父親と保育士の母親のもと、人よりは厳しく育てられたと思います。
子供のころ、母親に言われた言葉を今でも鮮明に覚えています。

また、小学校の将来の夢でタレントと書いた時にめちゃくちゃ怒られて修正液で修正させられました。
そんなこともあり当時の僕は、目立つことは悪だと解釈しました。
目立つことは悪だと思っていましたが、そもそも目立てるスキルもなかったので目立つこともありませんでした。
- 保育園の劇は原作に登場しない3匹の子豚のお父さん
- 幼稚園のかけっこは女の子に負けて2位
- 小学校の成績は中の上
- ドカベンを読んで少年野球を始めるも3年間補欠のバント要員
- 中学校の部活は補欠の幽霊部員
- 高校受験に失敗
- 高校の部活も補欠
- 通った高校では理系クラスで女子免疫なし
自分で書いていて悲しくなるような経歴ですが、本当です。
おそらく、今でも仲のいい友人以外は自分の名前も覚えていないのではないかってくらい、その他大勢の人間でした。
大学でバンドを始めて、人前に立つ楽しさを知る
そんな僕ですが、中学生のころからずっと音楽が好きでした。
そしてバンドでモテたいという中学生特有の思考も持ってました。
しかし楽器が欲しいと母親に相談したら「あんたにできるはずがない」と一蹴。
バイトも許されていなかった僕はバンドを諦めて、バンドを始めた友人のライブを指を咥えて見てました。
大学に進学した後はその反動もあって軽音楽部に所属。ベースとボーカルをしてました。

そのとき、人前で初めて目立つことができ、「目立つことって楽しい」と思うようになりました。
何の迷いもなくシステムエンジニアとして就職
情報系の学部に通っていた僕は、システムエンジニアとして就職することを決意。
就職することが当然だと思っていたし、内定を取ることが親孝行だと当時は思っていたので何の迷いもなく就職活動をしました。
僕の就職活動をした年はリーマンショックによる就職氷河期でしたが、バンドをしていたことで人前で喋ることに抵抗が無くなっていた僕は、面接も緊張せず。
ご縁があった福岡のソフトウェア企業でお世話になることになりました。
ものづくりが好きになった会社員時代
情報系の大学に行っていたにも関わらず、全くスキルのなかった僕は、社会人になってから苦労しました。
そして私以外の同期は全員国公立大学出身。学歴コンプレックス丸出しでした。
しかし、仕事を通じてすこしずつプログラムや、プロジェクト開発が楽しくなっていきました。
自分が書いたプログラムが製品となって世に出ていく。自分が出したアイデアが採用される。みんなで一つのものを作り上げる。
現場でも目立つ存在になり、慕ってくれる後輩もでき、お客さんにも認められ、順調にこのまま10年、20年と働いていくのだろうなと当時は思っていました。
心を病んで退職へ
前の会社に迷惑をかけたくないので、詳しくは書きません。でも、本当に些細なことでした。
とあるきっかけで僕は現場でプレッシャーに負け、パニックを起こしてしまいました。
その時は周りの全力のフォローもあって、ことなきを得たのですが、それから僕の中で何かがおかしくなったようでした。
まるでパンパンに水を張ったコップのようで、少しでも刺激があるとこぼれてしまう状態でした。
それから半年間で
- 胃に穴があく
- 肺に穴があく
- 現場でパニックになる
- 耳が聞こえなくなる
等の症状がおき、最終的には現場を去り、そのまま退職することになりました。
なにか心の病気だったのかもしれません。でも、それを認めることが怖くて病院には行きませんでした。
最後の半年間の僕は本当に扱いにくかったと思います。
それでも一緒に仕事をしてくれていた現場の人、フォローしてくれた当時の会社には感謝しています。
生きていく手段は会社員だけではなかった
こうして会社を辞めた僕は無職になりました。毎日がお休み。平日でも会社に行く必要はない。
平日にぶらぶらしつつ、自堕落な毎日を過ごしているときにふと思いました。
「この同じようにぶらぶらしてる人たち、どうやって生きてるんだ・・・?」
僕と同じように無職だった人もいたかもしれませんし、平日お休みの仕事の人もいたでしょう。
しかし、仕事=会社員として平日働くだった僕は、なんだか衝撃を受けました。
それから自分で少しずつ、生きていくことの自由さを考えるようになりました。
こうしてフリーランスへ
生きていく自由さに興味を持った僕は、再就職という選択肢がなくなりました。
小さいころから目立たず、その他大勢だった僕は、普通に生きることが正しいと思っていました。
でも、本当は目立つのが好きで、自由にやりたいことをやりたかったんだと思います。
僕はこうしてフリーランスになることを決意し、それと同時に生きていくことの自由さを考えることにしました。
現在は、フリーのシステムエンジニアとして働きながら、WEBライティングやブログで自分の言葉を発信できるスキルを積んでいます。
B-minor(ビーマイナー)とは?
僕の卑屈だった学生時代の持論に由来しています。
学生にはカースト制度が存在していて、以下の分類があるとおもってました。
- A+(少数。こいつがやるといえばクラス全体が動く。カリスマ的存在。)
- A-(割と少数。A+と仲がいい。クラスのイケてるグループのメンバー。)
- B+(大多数。目立つほうじゃないけど誰とでも仲がいい。)
- B-(大多数。目立たない。Aグループと仲良くなりたい。)←僕はここにいました。
- C+(割と少数。イケてないグループだったりするけど、独自の輪があるので楽しそう。)
- C-(やべぇやつ。一匹狼。)
ざっとこんな感じです。偏見丸出しです。
A+の人たちは、芯がぶれなくて、何かに一生懸命で、自分のやることが発信できて、それを人に影響させる。
そんな共通点がありました。
このブログでみなさんに伝えたいこと
その他大勢、B-だった僕でしたが、やっぱり自分はA+になりたかったんだと思います。
このブログではB-だった僕が、A+になるために発信していきます。
生きているからには、誰かに影響を与える人間になりたい。自分のやってきたことや思いを発信したい。
フリーランスになった僕だからこそ経験できること、発信できること、面白いと思うことを書いていきます。
- 自分もB-だったなと思う人
- フリーランスエンジニアという生き方に興味のある人
- 単純に僕に興味を持った人
そんな人たちに影響が与えられるようにブログを書いていきます。